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楽天市場のギャラリーダッドアートで買う

ベルナール シャロワ ヴィクトワール リトグラフ

 作家名 ベルナール・シャロワ  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦46.3X横39.5cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦83.4X横74.6cm  額の状態 新  品  限定 CL部(150部)  サイン シャロワ鉛筆サイン  額の仕様 金黒装飾額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込39,960円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ベルナール シャロワ年譜(1931- ) 1931 フランス、ロレーヌに生まれる 1953 モンマルトルのアトリエ・ド・ジョワに入り、     デッサン、油絵、リトグラフを3年間学ぶ 1957 この年からポスター,本や雑誌の挿絵を制作 1959 世界的に注目され、ヨーロッパ、アメリカ、     カナダの大雑誌に続々と彼のイラストや     政治家の肖像画が掲載される 1975 パリ、ベルギー、ドイツなどで展覧会を開催 1976 バーゼルの国際展に出品 1982 銀座三越にてでシャロワ展開催     デュッセルドルフ(ドイツ)のシューマッハ     ギャラリーと契約を結ぶ 1988 銀座三越にてシャロワ展開催 1991 銀座三越にてシャロワ展開催 1993 銀座三越にてシャロワ展開催 2000 オペラギャラリーにてシャロワ展開催    (ニューヨーク) 2000 オペラギャラリーにてシャロワ展開催    (マイアミ)ベルナール シャロワヴィクトワール リズミカルで流れるようなタッチで 可憐で清楚な少女像を描くシャロワ

版画 -> 石版画(リトグラフ)

中島千波 リトグラフ 1993年 かとれあ

 作家名 中島千波  制作年 1993年  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦45.2X横60.2cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦64.8X横79.3cm  額の状態 ほぼ良好  限定 200部  サイン 中島千波鉛筆サイン  落款 千波印  額の仕様 金日本画額縁  マット 灰色布マット 格安卸価格税込69,120円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中島千波年譜(1945- ) 1945 日本画家中島清之の三男として、長野県小布施     町に生まれる 1948 神奈川県横浜市に帰郷 1969 東京藝術大学日本画科卒業     第54回院展初入選     第四回神奈川県展にて受賞 1971 東京藝術大学大学院修了大学院を修了     第1回山種美術館賞展出品     日本美術院院友推挙 1974 現代日本美術選抜展に「草の主」が選抜出品     栃木県立美術館に収蔵される 1979 第5回山種美術館賞展で「衆生・視」優秀賞受賞 1980 第6回山種美術館賞展招待     第二回日本秀作美術館展に選抜出品 1983 裸体画100年の歩み展に出品 1984 横の会結成に参加     (以後、平成5年の最終回まで出品) 1985 東京セントラル美術館第一回日本画裸婦大賞展大賞受賞     津島佑子の小説『夜の光に追われて』挿絵制作 1986 「戦後生まれの作家たち」に出品     現代日本美術の動勢-絵画PART1に出品 1987 NHKテレビ『きょうの料理』のテキスト表紙絵を制作     戸板康二『食卓の微笑』の挿絵を制作 1988 宮尾登美子の小説『きのね』の挿絵を制作 1989 ベルギー・ユーロバリア’89・ジャパン現代日本画展に出品 1990 国際花と緑の展覧会に「御車返の桜」を出品     横浜三渓谷臨春閣襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成     日本美術院特待となる    「中島千波展」開催(日本橋・高島屋) 1991 第46回春の院展奨励賞受賞     第76回院展奨励賞受賞 1992 長野県に「おぶせミュージアム・中島千波館」開館     永井路子の小説『姫の戦国』の挿絵を制作 1993 横浜にて中島千波展開催 1994 鎌倉鶴が岡八幡宮 斎官貴賓室床の間壁画完成披露    〈日和麗麗孔雀の図〉     東京芸術大学助教授となる     歌舞伎座の筋書表紙絵を1年間制作     中島千波「裸婦とデッサン」展開催     小布施中学校鳳凰アリーナ緞帳「北信秋果豊穣」が完成 1995 歌舞伎座緞帳「淡紅白梅図」が完成     「ひと はな いのちのフォルム」中島千波展をパリにて開催     四曲半双屏風「身延山枝垂桜」を制作 1996 日本橋三越本店にてパリ展の帰国記念展開催     四曲半双屏風「天龍寺の枝垂桜」制作     NHK教育テレビ「連画-アトリエを飛び出した画家たち」に参加     伊藤彬,中野嘉之,林功とグループ「目」結成,第一回展開催     パリ展帰国記念「中島千波展」開催    (小布施、東京、京都などを巡回) 1997 「中島千波の花宴展」を京都・東京で開催     おぶせミュージアム開館5周年記念「中島千波 富士」展開催 1998 「花と富士 中島千波屏風絵展」を東京で開催     「中島千波の花宴」展が、京都、東京を巡回     日本美術院退会、無所属となる 1999 「中島千波屏風絵展〈花と富士〉」開催     宮尾登美子の小説『宮尾本平家物語』挿絵を制作     (~2003) 2000 東京藝術大学美術学部教授に就任    「日本画の100年」展に「坪井の枝垂桜」を出品    「中島千波 日本画とデッサン展」開催 2001 深川不動尊内仏殿格天井画の原画完成、奉納     日本画入門「木のかたち、人のかたち」展開催     成田山東京別院深川不動内仏殿の建立を記念した     天井画の原画を完成     中島千波「平家物語」挿絵展-白虎之巻-開催    「デザインの風」展に「坪井の枝垂桜」を出品 2002 NHK教育テレビ番組趣味悠々「日本画基礎講座 花を描く」     の講師を務める     CAMK流現代「日本画」の精華展に「一心行の桜」が     招待出品される     おぶせミュージアム開館10周年記念「絵師・中島千波の世界     展」開催 2003 NHKテレビ「日本のうた絵巻 ふるさとの春 中島千波」出演     「美術館からこんにちは-中島千波 人へのまなざし展」 2004 深川不動堂の内仏殿格天井画<大日如来蓮池図>完成    『NHK趣味の園芸テキスト』の表紙絵を担当制作     想-願-祈 中島千波・天井画を描く展」開催     奈良県・當麻寺中之坊客段絵天井の寄進を呼びかけ     「夜桜」「白牡丹」奉納 2005 「花の心を描く 中島千波屏風の世界展」開催     (日本橋三越)(~2006) 2007 東京芸術大学創立120周年記念企画日本美術「今」展開催 2008 花がたり-中島千波展-おもちゃシリーズ(高島屋各店舗) 2010 中島千波の花菖蒲の世界展〈平成花菖蒲〉    (日本橋・三越本店新館)     四曲七隻屏風「神池花菖蒲」が披露された    (福岡、松山、高松三越巡回)     第15回21世紀の目展〈目―それぞれのかたち〉    (日本橋・高島屋ほか巡回) 2011 NHKBSプレミアム「旅のチカラ」「まぼろしの牡丹 中国・玉龍     雪山」の取材のため中国雲南省・玉龍雪山を訪れる     中野嘉之 畠中光享と共に公募グループ展「Artist Group風」     を立ち上げる 2012 第1回「Artist Group風」(東京都美術館)     中島千波展宮尾本「平家物語」の挿画と花々の宴    (ウッドワン美術館)     おぶせミュージアム・中島千波館開館二十周年記念    「横浜美術館所蔵作品による中島千波・清之親子展」     東京藝術大学退官展(東京藝術大学美術館)中島千波 かとれあ 桜の美に魅せられ、その姿を色鮮やかに表現し続ける日本画家

版画 -> 石版画(リトグラフ)

澁澤卿 シルクスクリーン 春霽秀発 2013

 作家名 澁澤卿  制作年 2013  技法 シルクスクリーン  絵サイズ 縦34.6X横53cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦60.3X横77.4cm  額の状態 新  品  限定 300部  落款 澁澤卿朱落款  額の仕様 金額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込39,960円  発表価格 25万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 澁澤卿年譜(1949-2012) 1949 群馬県に生まれる(本名瑩) 1974 東京芸術大学工芸科デザイン卒業 1944 出家得度し日蓮宗僧侶となる 1981 銀座・みゆき画廊で個展開催 1983 東京芸術大学デザイン科講師就任(-89) 1985 山種美術館賞展出品 1987 山種美術館賞展出品 1989 バーゼル国際アートフェア出品 1990 現代日本の屏風絵展(ドイツ)出品 1990 東亜大学デザイン学部教授(~97) 1992 ルフェーブル・ギャラリーで個展    (ロンドン) 1994 上毛新聞社主催個展    (前橋スズラン百貨店)     アートアジア香港-澁澤卿展 1995 テレビ番組「美の世界」で「僧籍を持つ     日本画家・澁澤卿」が放送される     東美特別展-澁澤卿展    (永善堂画廊・東京美術倶楽部主催)     アートアジア香港-澁澤卿展 1996 日本橋三越・名古屋松坂屋・京都大丸     大阪近鉄・横浜そごう巡回個展 1997 上毛新聞社主催個展    (前橋スズラン百貨店)    博多大丸個展 1998 大作「久遠春光」が身延山久遠寺に収蔵     される 2001 身延山大学客員教授に就任     個展(博多・京都大丸・阿倍野近鉄) 2002 個展(中国上海美術館・岡山天満屋) 2004 澁澤卿、薮内佐斗司二人展を開催 2012 4月29日に急性心筋梗塞のため死去     享年63歳澁澤卿 春霽秀発僧侶としての独自の世界観を繊細 なタッチで絵画に表現する澁澤卿

版画 -> シルクスクリーン

長谷川潔 風景 油彩8号 1920年代

 作家名 長谷川潔  制作年 1920年代  技法 キャンバスに油彩  絵サイズ 8号(縦38X横46cm)  絵の状態 良  好  額サイズ 縦56X横63.5cm  額の状態 若干傷有  サイン 長谷川潔鉛筆サイン  額の仕様 金装飾額縁 格安卸価格税込896,400円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 長谷川潔年譜(1891-1980) 1891 12月9日神奈川県久良崎郡に生まれる    (現神奈川県横浜市) 1910 麻布中学を卒業、病弱のため医師から自由職業     を勧められ画家を目指す 1911 葵橋洋画研究所に入り黒田清輝に素描を習い始     める 1912 本郷洋画研究所にて岡田三郎助と藤島武二に油     絵を習い始める     自画自刻の創作木版画を制作し始める     バーナードリーチに出会いエッチング技法を教     わる 1913 日夏耿之介らの同人誌「聖盃」の表紙を担当     この頃より銅版画の制作を始める 1916 永瀬義郎ら共に最初の版画グループ「日本版画     倶楽部」結成 1918 銅版画技法習得のため渡仏 1923 サロン・ドートンヌ等展覧会に油彩画、銅版画を     出品 1924 R・デュフィの勧めでソシエテ・デ・パントル     ・クラヴール・アンデパンダンに入会    当時ほとんど衰退していた版画技法マニエール     ・ノワール(メゾチント)を研究 1927 仏蘭西現代美術展出品 1928 春陽会会員 1930 「航空と美術」国際展に銅版画出品(パリ)     航空大臣1等賞獲得(パリ) 1931 日本版画協会創立会員 1935 フランス政府よりレジヨン・ドヌール勲章授与 1943 シェリーヌ・M・ビアンキと結婚 1945 パリ中央監獄ドランシー収容所に収監される 1964 フランス芸術院通信会員推挙 1966 フランス文化勲章受章     現代日本美術展で特賞を受賞 1967 勲三等瑞宝章受章 1980 大回顧展「銅版画の巨匠・長谷川潔展」が開催さ     れる(京都国立近代美術館)     12月13日逝去 享年89歳長谷川潔 風景 油彩8号 「黒の技法」マニエール・ノワールを 再創造して世界的に絶賛された長谷川潔

絵画 -> 油彩画

小泉淳作 泰山木の花 銅版画

 作家名 小泉淳作  技法 銅 版 画  絵サイズ 縦55.5X横40.5cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦82X横65.4cm  額の状態 ほぼ良好  限定 80部  サイン 小泉淳作鉛筆サイン  サイン 朱落款  額の仕様 燻し金額装  マット ベージュ紙マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる     世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退     東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる     伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める     第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選     第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選     鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの     幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作     る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選     陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選     第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展     この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選     この年の石油危機を境に、生活の手段であった     デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ     る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選     以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」     小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊)     「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声     海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊)    『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座)    『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座)    『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座)    『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去     日本橋・壺中居にて陶芸展     酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催     鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越)     浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成     東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催     第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要     鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要     北海道中札内村に小泉淳作美術館開館    『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」     第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納     日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后     1250年御遠忌     東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆     尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・     小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去     享年87歳小泉淳作 泰山木の花 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作  

版画 -> 銅版画(エッチング)

ヒロヤマガタ シルクスクリーン 1989 夏の終わり

 作家名 ヒロヤマガタ(山形博導)  制作年 1989年  技法 シルクスクリーン  絵サイズ 縦73.6X横54.7cm  絵の状態 良  好  限定 295部  サイン 鉛筆サイン  額サイズ 縦102.3X横82cm  額の仕様 白光沢額縁  マット 白布マット  額の状態 新  品 格安卸価格税込69,120円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ヒロヤマガタ年譜 1948 5月30日滋賀県米原市に材木屋の父のもと6人姉弟の    3番目として産まれる1955 米原町立醒井小学校(現米原市立河南小学校)に入学1972 五海祐治、崔洋一、篠毅らと共同で「JIM」を渋谷に    設立    恋人を追いかけミラノへ渡るが実らずその後パリへ渡    り定住1973 パリの画廊と契約    ウィーンで初の個展を開催    以後、ロサンゼルスへ移住するまでパリを拠点に様々    なサロンへ出展すると同時に、ヨーロッパ各地で個展    を開催1974 レーザーを使ったインスタレーションをパリ市内の劇    場で初めて実施する1978 ロサンゼルスのマーチンローレンス画廊と契約してロ    サンゼルスに移住    版画的技法のシルクスクリーンで、100色以上もの色を    散りばめた鮮やかな多色作風により、一躍その名を馳    せる1983 「エア・ショー」が、レーガン大統領が名誉会長であった    人類飛行200周年記念財団の公式ポスターに選ばれる。    後に「ヤマガタ・ブルー」と称される鮮やかな青色の世    界を確立 1984 ロサンゼルス市観光誘致キャンペーン公式作品を制作    ロードアイランド州が9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」    に定め、同州のウォリック市より名誉市民の称号が贈    られる    東京で初の個展が開催される1986 ロサンゼルス市名誉市民に選ばれる    レーガン大統領の依頼で「自由の女神100周年記念」のため    の公式作品を制作    エドワード・ケネディ議員の呼びかけでケネディ財団主催    のアートを通じた障害者支援チャリティープロジェクト    「ベリー・スペシャ・アーツ」に参加    東京、大阪、名古屋、横浜、福岡で巡回展を開催1987 ヤマガタ財団設立    ケネディ財団と共同で身体障害者のチャリティイベン    トを開催    「自選山形博導画集」が出版1988 「オーストラリア建国記念」「エッフェル塔100周年」等    の公式作品、レーガン大統領肖像画を制作    ジャック・ニクラスと共同でゴルフシリーズ開始1989 東京、静岡、名古屋、大阪で巡回展を開催    エリザベス・テイラーとの友情を通じてアメリカン・フ    ァンデーション・オブ・エイズ・リサーチへの寄付を    開始    サンフランシスコ地震被災者救済のために「ファイア    ー・ワークス」の全売上を赤十字社へ寄付1990 アーノルド・シュワルツェネッガーがテキストを書い    た英語版画集「YAMAGATA」が出版される    「アメリカ移民200周年」、ベルリンの「フリーダム・    キャンペーン」公式作品を制作    メキシコシティ国立美術館で個展開催1991 「コロンブス新大陸発見500年記念」、世界陸上の公式    作品を制作1992 バルセロナ・オリンピックの公式作品を制作    米国ウォルト・ディズニーアートクラシックインクと    契約    金閣寺をモチーフに、京都「遷都1200年祭」の公式作品    を制作    障害を持つ人々の芸術活動の振興を行う国際組織「ベ    リー・スペシャル・アーツ」に600万ドルを寄付1993 ジーン・ケネディ・スミスと共に「ベリー・スペシャル・    アーツのインターナショナル・アート・フェステバルに    参加(ブリュッセル)    ジャック・ニクラスと共同でゴルフシ新シリーズの制    作を発表     エイズ・チャリティー・イベントのため来日1994 アレン・ギンズバーグらとビート・ジェネレーション    に関するドキュメンタリー映画制作の企画を開始    美しい自然のイメージをメルセデス・ベンツのヴィン     テージ・カーに描き出し「アースリーパラダイス」と    してロサンゼルス市立美術館で発表    なお、「アースリーパラダイス」は美術評論家サム・    ハンターによる命名である    また、同展のためにアレン・ギンズバーグが「ヒロ・    ヤマガタの聖霊20世紀の自動車」と題する文章を寄稿1995 米国オリンピック委員会の依頼でアトランタ・オリン    ピック全種目の作品を制作。同年「アースリーパラダ    イス」展を箱根、ヴェネツィア(アレン・ギンズバー    グとの合同展)、モンテカルロ、モンテカティーニ、    トリノにて開催1996 「アースリーパラダイス」展をシカゴで開催    カール16世グスタフ・スウェーデン国王に招かれ「アー    スリーパラダイス」展をストックホルムで開催1997 「アースリーパラダイス」展をカッセル(デニス・ホッパ    ーとの合同展)、ウィーンにて開催    「エタニティー・オア・ファット」展をロサンゼルスの    フレッド・ホフマン・ファイン・アート・ギャラリーシカ    ゴART1997で開催    アカデミー賞授賞式にて「アースリーパラダイス」の    イメージとレーザーインスタレーションのコラボレー    ションを発表    ホワイトハウスからの依頼で、アメリカ合衆国憲法制     定200周年記念の作品「ウィ・ザ・ピープル」を制作    同作品のシルクスクリーンは記念の豪華装丁本に納め    られ、全世界のアメリカ合衆国大使館に配布された1998 「アースリーパラダイス」展をローマで開催    レーザーインスタレーション「スカルプター・オブ・     ライト」展をLAファーストストリート橋にて開催    日本の心をテーマにした「日本のエッセンス」の制作    を開始    作画を担当した80円切手「おもちゃのチャチャチャ」が    郵政省より発行1999 「アメリカン・リップス」展をニューヨークのマルボロ    ギャラリーで開催    レーザーインスタレーション「ローマイヤーライツ」    をローマイヤー彫刻美術館(ミズーリ州セントルイス)    にて開催    米国ホワイトハウス設立200周年記念の公式作品制作    テレビ朝日の番組取材でチベット(ピヤトンガ遺跡)    を初めて訪れる 2000 シンシナティ現代美術センター(英語版)で開催され    たレーザーインスタレーショングループ展「アクティ    ブ・ライフ」(オハイオ)に参加    レーザーインスタレーション「太陽系インスタレーシ    ョンプロジェクト1」をヤマガタスタジオ(マリブ)で    開催    グラミー財団よりグラミー賞2000年公式アーティスト    に任命される2001 レーザーインスタレーション「NGC6093」をニューヨー    クのエースギャラリーで開催2002 レーザーインスタレーション「クウォンタン・インジ    ェクション」をペパーダイン大学(マリブ)で開催 2003 レーザーインスタレーション「ART宇宙芸術展-ヒロヤ    マガタとNASAの世界」を横浜国際客船ターミナル大桟    橋ホールで開催    レーザーインスタレーション「スーパーノヴァ3」展を    COSIコロンバス科学博物館(オハイオ州)で開催    「サンクトペテルブルク市政300周年記念イベント-音    と光の夜」(ロシア)にレーザーインスタレーションで    参加    「ヒロ・ヤマガタ原画」展を沖縄で開催 2004 レーザーインスタレーション「クウォンタン・フィール    ドX3」をグッゲンハイム美術館ビルバオ(スペイン)    にて開催2005 アフガニスタンのバーミヤーン仏教遺跡にて、破壊さ    れた大石仏像を復活させる試みとして、大掛かりなレ    ーザー光線でそのイメージを取り戻すと言う過去最大    規模のレーザーインスタレーション構想を発表    「アース・ウォーター・ファイアー・エアー・フェス    ティバル」(南アフリカ・ケープタウン)にレーザー    インスタレーションで参加2006 ペインティング作品「エアー」展をロサンゼルスのトー    ランス・アート・ミュージアムで開催    空間に鮮烈に描き出してきたレーザーインスタレーシ    ョンのパターンが、巨大なスケールのキャンバスにペ     インティングとして再構築されている    インスタレーション「スカルプター・オブ・ライト」を    BUSCHLEN MOWATT GALLERIES(パームデザート)    で開催2007 ペインティング作品「トランシエント」展をロサンゼ    ルスのゲーリー・パートナーズにて開催    巨大キャンバスに貼られた皺交じりの和紙に描き出さ    れた水墨の濃淡な世界ヒロヤマガタ夏の終わり 色彩の魔術師、ポップでカラフルな 色調で世界を魅了するヒロヤマガタ

版画 -> シルクスクリーン

アンドレ ブラジリエ リトグラフ 1980 冬の馬たち

 作家名 アンドレ ブラジリエ  制作年 1980  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦46X横58cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦69.6X横85.6cm  額の状態 若干傷有  限定 175部  サイン ブラジリエ鉛筆サイン  額の仕様 白+ワイン色ビロード額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 アンドレ ブラジリエAndre Brasiler ブラジリエ年譜 1929 フランス、ソーミュール市(アンジュー地方)に画家     の両親の元に生まれる 1949 パリのエコールボザールに入学     モーリス・ブリアンションのアトリエで学ぶ 1952 フロレンス・ブリュマンタル賞受賞     シャルル・モレ賞等受賞     フロレンス・ブリュメンタル賞受賞 1953 ローマ・グランプリ賞受賞 1958 アトリエ・ムルローにおいて最初のリトグラフを制     作する     パリ、ドゥルエ画廊において、音楽を主題に初個展 1959 この年よりパリ、ジュネーブ、ニューヨークで定期的     に個展開催 1960 パリのヴェイユ画廊において展覧会開催     ヴィルヌーヴ・シュール・ロ賞を受ける 1961 青年絵画展でシャルル・モレ賞受賞 1962 ニューヨークのデヴィット・フィンドレー画廊にお     いて展覧会開催     シュールロット賞受賞     サロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイルリー委     員となる     各地ビエンナーレの会員となる 1964 ヴェイユ画廊において、ソーミュールの馬術教官を     テーマとした展覧会開催 1966 ブリュッセル、ギャラリー・コントラストにて展覧会     開催 1970 ブエノス・アイレスにおける「現代フランス具象画パ     ノラマ展」に出品     ガストン・ルルー「黄色い部屋の秘密」の挿絵を描く     (ソーレ社刊) 1971 カラカス、ガレリア・デ・アルテにおいて展覧会開催     ニューヨークのデヴィット・フィンドレー画廊に     おいて展覧会開催 1972 ギャラリー・ドパリにて二度目の展覧会を開催     コレットの中編小説数作(オネトム・クラブ刊)の     挿絵を描く 1974 パリのヴィジョン・ヌーヴェル画廊においてリトグ     ラフとタペストリーの展覧会     ニューヨークのデヴィット・フィンドレー画廊にお     いて展覧会開催     東京の吉井画廊にて展覧会開催     画集が日本で初めて出版される 1975 サロン・ド・モンジュール賞を受賞 1976 イヴ・ファンタスがブラジリエ論を出版 1977 ジュネーブのギャルリー・デ・ショードロニエにおい     て展覧会開催     ドイツで初めての展覧会がローランド・ドシュカ教     授によりチュービンゲンで開催 1979 初めて陶器の展覧会をパリ、エチエンヌ・サッシ画廊     で開催 1980 ロワール地方のシュノンソー城において、初の回顧     展が開催される 1982 日本の5都市において巡回展開催 1984 メットラッハの陶器美術館で陶器の展覧会開催     モナコのルーヴズ・ホテルにおいて展覧会     東京、森工房で大版画[雪の乗馬][青い池]を制作 1985 ニューヨークのハマーギャラリーにて個展開催     レイナルド・ハーン作「シブレット」(オペラ)の衣装     と舞台装飾を担当 1987 ヴァンスにてモザイク(15m×3m)を制作     マルセル・プルースト『スワンの恋』を題材とした     作品を印刷局用に制作 1989 アンジェにおいて回顧展が開催され、金の木馬賞(ア     ンジェ市名誉勲章)授章     アカデミー・フランセーズ会員ミッシェル・デオンの     序文を付したヤン・ピションの著作『アンドレ・ブラ     ジリエとその変貌』がセギエ社から出版される 1990 グレート・イヴェントより「我が国の自然」が出版     される 1991 リトグラフ10点を収めたアルバム『ハーモニー』     が出版される 1992 「バガテルのアンドレ・ブラジリエ展」がパリ市庁舎     にて開催     リトグラフカタログレゾネがカリトス社から出版さ     れる 2004 ドイツ、コンスタンツ湖畔、マイノー城にて展覧会     開催 2005 エルミタージュ美術館(ロシア・サンクトペテルブル     ク)にて回顧展 2010 シュノンソー城にて代表作40点による個展ブラジリエ冬の馬たち 鮮やかな色彩と柔和で単純化された構成に よる世界感は優美で静謐なイメージで、  詩的な表現を得意とする作家ブラジリエ 

版画 -> 石版画(リトグラフ)

中村正義 林 パステル8号

 作家名 中村正義  技法 パステル  絵サイズ 8号(縦33X横44cm)  絵の状態 良  好  額サイズ 縦51.5X横62.6cm  額の状態 若干傷有  サイン 中村正義鉛筆サイン  額の仕様 金装飾額装  マット ベージュ布マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中村正義年譜(1924-1977) 1924 愛知県豊橋市に生まれる 1940 病身にため豊橋市立商業学校を中退 1946 中村岳陵に師事、日展初入選 1950 第6回日展に「谿泉」を出品、特選となる     (豊橋市美術博物館蔵) 1952 「女人」で特選を受賞するが肺結核のため     1957年まで制作活動を中断する 1960 第3回新日展の審査員となる 1961 川崎市細山に転居     蒼野社をやめ日展を脱退する 1963 個展「男と女」を開催(上野松坂屋・名古屋丸栄)     従来の画風を脱した野心作30 点を発表する 1964 映画[怪談](小林正樹監督)の為[源平海戦絵巻]     5部作(国立近代美術館蔵)制作 1966 個展「顔の自伝」(日本画廊)開催 1967 直腸癌の手術を受ける 1969 個展「太陽と月のシリーズ」 (銀座三越)開催 1970 写楽研究の成果「写楽」(ノーベル書房)を出版     東京造形大学の日本画講師となる 1974 人人会を結成     第1回人人展(日本橋三越)開催 1975 東京展市民会議を創設、事務局長として奔走     第一回東京展(都美術館)開催 1977 4月16日肺癌のため死去 享52才 1980 NHK日曜美術館「私と中村正義」放映     「異端の天才画家 中村正義」展開催     (豊橋市美術博物館)    『中村正義画集』(講談社)刊行 1983 「反骨・奔走の偉材 中村正義」展開催     (神奈川県立近代美術館) 1988 川崎市の自宅を美術館としてオープン 1993 NHK日曜美術館「現代日本画の出発中村正義」     放映 1997 「没後20年-中村正義」展開催(豊橋市美術     博物館、川崎市市民ミュージアム、新潟美術館) 1998 中村正義美術館10周年記念として[創造は醜     なり]刊行(中村正義著/美術出版社) 1999 NHK新日曜美術館「拝啓中村正義さま」放映 2005 TV東京 美の巨人たち「00枚の自画像」放映 2011 所在不明になっていた作品も含めた「中村正義     展」開催(名古屋市美術館)中村正義 林 パステル8号 美術界に巣食う古い権威や権力に反逆の狼煙 をあげ、新しき真の創造を掲げて疾風のよう に時代を駆け抜けた一人の天才画家中村正義

絵画 -> 水彩画

藤井勉 少女 油彩10号 1988年

 作家名 藤井勉  制作年 1988年  技法 キャンバスに油彩  絵サイズ 10号(縦53X横45.5cm)  絵の状態 良  好  額サイズ 縦73.5X横66cm  額の状態 ほぼ良好  サイン 藤井勉筆サイン  額の仕様 金装飾額縁  マット ベージュ布マット 格安卸価格税込799,200円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 藤井勉 六郷町立六郷中学校、秋田県立六郷高等学校を経て岩 手大学教育学部特設美術科に進み、以後岩手県盛岡市 を拠点として創作活動に入った。 代表作は「風」「剣」「寂」 幼少期の藤井が描いた吉祥画が本堂天井画板のひとつ として、美郷町金沢西根百目木の百記山等心寺(浄土 真宗大谷派)に飾られている。 藤井勉年譜(1947-2007) 1947 秋田県仙北郡飯詰村天神堂、または仙南村(現美     郷町)藤井吉五郎の次男として生まれる。 1971 岩手大学特設美術科卒業 1976 第20回シェル美術賞展で佳作賞受賞 1977 第12回昭和回展で優秀賞受賞 1978 東京セントラル絵画館で個展開催 1979 藤井勉展開催(日動画廊) 1980 第23回安井賞受賞 1981 東京セントラル絵画館、日動画廊で個展    「藤井勉画集」(講談社) 1983 第26回安井賞展、佳作賞受賞 1984 FIACにて個展(パリ)    「藤井勉・小泉智英」二人展開催    「白い山脈 藤井勉文集」(求龍堂) 1986 画文集「たなこころ」刊行    (画/藤井勉、文/藤井智恵子) 1989 「藤井勉・上村淳之」二人展開催 1991 リトグラフ手彩色30葉制作 1994 藤井勉作品展(読売新聞社主催) 1995 「藤井勉・森田りえ子」二人展開催 1997 藤井勉展開催(八戸、秋田) 1998 新作展(秋田県仙南村主催) 2000 二人展開催(サトエ21世紀記念美術館) 2001 日本美・山展(JR東日本主催) 2003 藤井勉展開催(日本橋三越本店) 2004 藤井勉展開催(仙台三越) 2005 「藤井勉画集魅惑の大地」刊行(金の星社)     個展開催(三越) 2017 9月12日盛岡市内の病院で死去     享年69歳 2018 記念21世紀美術館で「藤井勉展~家族の肖像・     画家への追想~」が開催された 2022 美郷町学友館にて特別展「ふるさと美郷の画家     三人展」(渋谷重弘、高橋清見、藤井勉)開催藤井勉少女 油彩10号 高い描写力と精緻な空気感で高い人気 を誇る現代日本洋画を代表する藤井勉 空間に漂う精緻な時の流れに去りゆく 一齣を、掬いとるような世界感を追求

絵画 -> 油彩画

中島千波 リトグラフ 1997年 額味彩

 作家名 中島千波  制作年 1997年  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦35.8X横46cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦59X横68.5cm  額の状態 ほぼ良好  限定 380部  サイン 中島千波鉛筆サイン  落款 千波印  額の仕様 金木生地日本画額縁  マット グレー光沢布マット 格安卸価格税込79,920円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中島千波年譜(1945- ) 1945 日本画家中島清之の三男として、長野県小布施     町に生まれる 1948 神奈川県横浜市に帰郷 1969 東京藝術大学日本画科卒業     第54回院展初入選     第四回神奈川県展にて受賞 1971 東京藝術大学大学院修了大学院を修了     第1回山種美術館賞展出品     日本美術院院友推挙 1974 現代日本美術選抜展に「草の主」が選抜出品     栃木県立美術館に収蔵される 1979 第5回山種美術館賞展で「衆生・視」優秀賞受賞 1980 第6回山種美術館賞展招待     第二回日本秀作美術館展に選抜出品 1983 裸体画100年の歩み展に出品 1984 横の会結成に参加     (以後、平成5年の最終回まで出品) 1985 東京セントラル美術館第一回日本画裸婦大賞展大賞受賞     津島佑子の小説『夜の光に追われて』挿絵制作 1986 「戦後生まれの作家たち」に出品     現代日本美術の動勢-絵画PART1に出品 1987 NHKテレビ『きょうの料理』のテキスト表紙絵を制作     戸板康二『食卓の微笑』の挿絵を制作 1988 宮尾登美子の小説『きのね』の挿絵を制作 1989 ベルギー・ユーロバリア’89・ジャパン現代日本画展に出品 1990 国際花と緑の展覧会に「御車返の桜」を出品     横浜三渓谷臨春閣襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成     日本美術院特待となる    「中島千波展」開催(日本橋・高島屋) 1991 第46回春の院展奨励賞受賞     第76回院展奨励賞受賞 1992 長野県に「おぶせミュージアム・中島千波館」開館     永井路子の小説『姫の戦国』の挿絵を制作 1993 横浜にて中島千波展開催 1994 鎌倉鶴が岡八幡宮 斎官貴賓室床の間壁画完成披露    〈日和麗麗孔雀の図〉     東京芸術大学助教授となる     歌舞伎座の筋書表紙絵を1年間制作     中島千波「裸婦とデッサン」展開催     小布施中学校鳳凰アリーナ緞帳「北信秋果豊穣」が完成 1995 歌舞伎座緞帳「淡紅白梅図」が完成     「ひと はな いのちのフォルム」中島千波展をパリにて開催     四曲半双屏風「身延山枝垂桜」を制作 1996 日本橋三越本店にてパリ展の帰国記念展開催     四曲半双屏風「天龍寺の枝垂桜」制作     NHK教育テレビ「連画-アトリエを飛び出した画家たち」に参加     伊藤彬,中野嘉之,林功とグループ「目」結成,第一回展開催     パリ展帰国記念「中島千波展」開催    (小布施、東京、京都などを巡回) 1997 「中島千波の花宴展」を京都・東京で開催     おぶせミュージアム開館5周年記念「中島千波 富士」展開催 1998 「花と富士 中島千波屏風絵展」を東京で開催     「中島千波の花宴」展が、京都、東京を巡回     日本美術院退会、無所属となる 1999 「中島千波屏風絵展〈花と富士〉」開催     宮尾登美子の小説『宮尾本平家物語』挿絵を制作     (~2003) 2000 東京藝術大学美術学部教授に就任    「日本画の100年」展に「坪井の枝垂桜」を出品    「中島千波 日本画とデッサン展」開催 2001 深川不動尊内仏殿格天井画の原画完成、奉納     日本画入門「木のかたち、人のかたち」展開催     成田山東京別院深川不動内仏殿の建立を記念した     天井画の原画を完成     中島千波「平家物語」挿絵展-白虎之巻-開催    「デザインの風」展に「坪井の枝垂桜」を出品 2002 NHK教育テレビ番組趣味悠々「日本画基礎講座 花を描く」     の講師を務める     CAMK流現代「日本画」の精華展に「一心行の桜」が     招待出品される     おぶせミュージアム開館10周年記念「絵師・中島千波の世界     展」開催 2003 NHKテレビ「日本のうた絵巻 ふるさとの春 中島千波」出演     「美術館からこんにちは-中島千波 人へのまなざし展」 2004 深川不動堂の内仏殿格天井画<大日如来蓮池図>完成    『NHK趣味の園芸テキスト』の表紙絵を担当制作     想-願-祈 中島千波・天井画を描く展」開催     奈良県・當麻寺中之坊客段絵天井の寄進を呼びかけ     「夜桜」「白牡丹」奉納 2005 「花の心を描く 中島千波屏風の世界展」開催     (日本橋三越)(~2006) 2007 東京芸術大学創立120周年記念企画日本美術「今」展開催 2008 花がたり-中島千波展-おもちゃシリーズ(高島屋各店舗) 2010 中島千波の花菖蒲の世界展〈平成花菖蒲〉    (日本橋・三越本店新館)     四曲七隻屏風「神池花菖蒲」が披露された    (福岡、松山、高松三越巡回)     第15回21世紀の目展〈目―それぞれのかたち〉    (日本橋・高島屋ほか巡回) 2011 NHKBSプレミアム「旅のチカラ」「まぼろしの牡丹 中国・玉龍     雪山」の取材のため中国雲南省・玉龍雪山を訪れる     中野嘉之 畠中光享と共に公募グループ展「Artist Group風」     を立ち上げる 2012 第1回「Artist Group風」(東京都美術館)     中島千波展宮尾本「平家物語」の挿画と花々の宴    (ウッドワン美術館)     おぶせミュージアム・中島千波館開館二十周年記念    「横浜美術館所蔵作品による中島千波・清之親子展」     東京藝術大学退官展(東京藝術大学美術館)中島千波 額味彩 桜の美に魅せられ、その姿を色鮮やかに表現し続ける日本画家

版画 -> 石版画(リトグラフ)

シャルル シャプラン 婦人像 油彩10号 19世紀中頃 ロココスタイル

 作家名 シャルル シャプラン  制作年 19世紀中頃  技法 キャンバスに油彩  絵サイズ 縦55.5X横42cm  絵の状態 絵にヒビ有  額サイズ 縦83.5X横70.5cm  額の状態 若干傷有  サイン 油彩筆サイン  額の仕様 金装飾額縁 格安卸価格税込993,600円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 シャルル シャプラン(1825-1891) 1825 フランスのLes Andelysで生まれる     父親はイギリス出身の画商John Chaplin     母親はフランス人のOlympia Adelle Moisy 1840 パリ国立高等美術学校で学んだ     高等美術学校の教授、ミシェル・マルタン・ドロラン     からポール・ボードリー、ジュール・ブルトン、、ジャ     ン=ジャック・エンネルらと個人教授も受け、後に     シャプランも高等美術学校で教えた 1845 母親のポートレートで初めてサロンに入選     この後、毎年サロンに入選 1847 定期的にロンドンの王立アカデミーでも作品が展示     されるようになる 1851 サロンで姉のOlympia Adele Priestleyのポートレー     トが銅賞     翌年のサロンでは銀賞を獲得しました     その後も毎年サロンに入選しています 1850年代から肖像や風景画だけでなく、若い女性の日常を     描いた風俗画を描くようになる 1852 サロンで銀賞受賞 1859 サロン出品作「オーロラ」が扇情的すぎるという理由     で展示禁止になる     これを聞いたナポレオン3世はシャプランを擁護し     て展示禁止措置を撤回させた 1865 サロンで金賞受賞 1866 パリで女性画家のための初めての美術教室を開き、     教えた女性画家にはメアリー・カサット、カイエ、ル     イズ・アベマ、ルイーズ・ジョプリング、エレーナ     ・ポレーノヴァらがいた 1879 レジオンドヌール賞を獲得し、シュヴァリエの爵位を     得る 1881 爵位が一階級上がり、オフィシエとなる 1886 フランス国籍を取得 1891 パリで逝去 享年66歳シャルル シャプラン婦人像(油彩10号) リアリズムにブーシェなどフランス独自のロココ スタイルを取り入れ、新ロココスタイルを確立し 超人気画家へと上り詰めたシャルル・シャプラン

絵画 -> 油彩画

アンドレ ブラジリエ リトグラフ 1987 大きなバラ色の空

 作家名 アンドレ ブラジリエ  制作年 1987  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦60X横73cm  絵の状態 ほぼ良好刷りムラ有り  額サイズ 縦86.6X横98.4cm  額の状態 ほぼ良好  限定 EA(通常限定100部)  サイン ブラジリエ鉛筆サイン  額の仕様 灰色着彩額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込124,200円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 アンドレ ブラジリエAndre Brasiler ブラジリエ年譜 1929 フランス、ソーミュール市(アンジュー地方)に画家     の両親の元に生まれる 1949 パリのエコールボザールに入学     モーリス・ブリアンションのアトリエで学ぶ 1952 フロレンス・ブリュマンタル賞受賞     シャルル・モレ賞等受賞     フロレンス・ブリュメンタル賞受賞 1953 ローマ・グランプリ賞受賞 1958 アトリエ・ムルローにおいて最初のリトグラフを制     作する     パリ、ドゥルエ画廊において、音楽を主題に初個展 1959 この年よりパリ、ジュネーブ、ニューヨークで定期的     に個展開催 1960 パリのヴェイユ画廊において展覧会開催     ヴィルヌーヴ・シュール・ロ賞を受ける 1961 青年絵画展でシャルル・モレ賞受賞 1962 ニューヨークのデヴィット・フィンドレー画廊にお     いて展覧会開催     シュールロット賞受賞     サロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイルリー委     員となる     各地ビエンナーレの会員となる 1964 ヴェイユ画廊において、ソーミュールの馬術教官を     テーマとした展覧会開催 1966 ブリュッセル、ギャラリー・コントラストにて展覧会     開催 1970 ブエノス・アイレスにおける「現代フランス具象画パ     ノラマ展」に出品     ガストン・ルルー「黄色い部屋の秘密」の挿絵を描く     (ソーレ社刊) 1971 カラカス、ガレリア・デ・アルテにおいて展覧会開催     ニューヨークのデヴィット・フィンドレー画廊に     おいて展覧会開催 1972 ギャラリー・ドパリにて二度目の展覧会を開催     コレットの中編小説数作(オネトム・クラブ刊)の     挿絵を描く 1974 パリのヴィジョン・ヌーヴェル画廊においてリトグ     ラフとタペストリーの展覧会     ニューヨークのデヴィット・フィンドレー画廊にお     いて展覧会開催     東京の吉井画廊にて展覧会開催     画集が日本で初めて出版される 1975 サロン・ド・モンジュール賞を受賞 1976 イヴ・ファンタスがブラジリエ論を出版 1977 ジュネーブのギャルリー・デ・ショードロニエにおい     て展覧会開催     ドイツで初めての展覧会がローランド・ドシュカ教     授によりチュービンゲンで開催 1979 初めて陶器の展覧会をパリ、エチエンヌ・サッシ画廊     で開催 1980 ロワール地方のシュノンソー城において、初の回顧     展が開催される 1982 日本の5都市において巡回展開催 1984 メットラッハの陶器美術館で陶器の展覧会開催     モナコのルーヴズ・ホテルにおいて展覧会     東京、森工房で大版画[雪の乗馬][青い池]を制作 1985 ニューヨークのハマーギャラリーにて個展開催     レイナルド・ハーン作「シブレット」(オペラ)の衣装     と舞台装飾を担当 1987 ヴァンスにてモザイク(15m×3m)を制作     マルセル・プルースト『スワンの恋』を題材とした     作品を印刷局用に制作 1989 アンジェにおいて回顧展が開催され、金の木馬賞(ア     ンジェ市名誉勲章)授章     アカデミー・フランセーズ会員ミッシェル・デオンの     序文を付したヤン・ピションの著作『アンドレ・ブラ     ジリエとその変貌』がセギエ社から出版される 1990 グレート・イヴェントより「我が国の自然」が出版     される 1991 リトグラフ10点を収めたアルバム『ハーモニー』     が出版される 1992 「バガテルのアンドレ・ブラジリエ展」がパリ市庁舎     にて開催     リトグラフカタログレゾネがカリトス社から出版さ     れる 2004 ドイツ、コンスタンツ湖畔、マイノー城にて展覧会     開催 2005 エルミタージュ美術館(ロシア・サンクトペテルブル     ク)にて回顧展 2010 シュノンソー城にて代表作40点による個展ブラジリエ大きなバラ色の空 鮮やかな色彩と柔和で単純化された構成に よる世界感は優美で静謐なイメージで、  詩的な表現を得意とする作家ブラジリエ 

版画 -> 石版画(リトグラフ)

武本春根 古都萌芽 油彩10P

 作家名 武本春根  技法 キャンバスに油彩  絵サイズ 10P(縦40.9X横53cm)  絵の状態 良  好  額サイズ 縦58X横70.2cm  額の状態 ほぼ良好  サイン 武本春根油彩筆サイン  額の仕様 金装飾額縁  マット ベージュ布マット 格安卸価格税込199,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 武本春根年譜(1939- ) 1939 大阪府に生まれる 1968 二紀展に初出品(以降毎年出品) 1971 第18回関西二紀展にて大阪市長賞受賞 1973 第20回関西二紀展にて鍋井賞受賞 1976 京展に初出品(以降毎年出品) 1977 第29回京展に出品、紫賞を受賞     第24回関西二紀展にて努力賞受賞 1978 京都洋画・版画選抜展に出品    「立春静日」40号が京都府に買上げられる     第25回関西二紀展にて佳作賞を受賞     二紀会同人に推挙 1979 渡欧(フランス・イタリア) 1980 第15回昭和会展にて昭和会賞受賞     二紀会選抜展にて奨励賞受賞     太陽画廊にて第1回個展を開催 1981 第33回京展にて紫賞受賞     第2回武本春根展を開催(日動サロン) 1982 明日への具象展に招待出品 1993 安井賞展出品     渡欧     フランス・ベルギー・イタリア・スペイン 1984 明日への具象展出品     第38回二紀展にて同人賞受賞     第36回京展にて中日新聞社賞受賞     武本春根展(日動サロン、大丸神戸店) 1985 第37回京展にて朝日新聞社賞受賞     二紀会会員に推挙 1986 武本春根展(日動画廊)     ソ連邦文化省招待により、シルクロードへ写生旅行 1987 渡欧(フランス・イタリア・スペイン) 1988 武本春根展(岡山、福山の天満屋) 1989 関西二紀展にて努力賞受賞     武本春根展(日動画廊) 1990 関西二紀展にて佳作賞受賞 1999 二紀会を退会 2000 武本春根展(日動画廊)     日本美術家連盟会員となる 2001 「武本春根・木原和敏 対峙展」開催 現在、日本美術家連盟会員に所属武本春根古都萌芽 油彩10P 浮田克躬を彷彿とさせる穏健な筆遣いで形成された 堅牢なマチエルで赤屋根を優美に描き出す武本春根

絵画 -> 油彩画

ロイ フェアチャイルド リッスントゥーミー シルクスクリーン1999年

 作家名 ロイ フェアチャイルド  制作年 1999年  技法 シルクスクリーン  絵サイズ 縦111.7X横86.3cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦131.7X横106cm  額の状態 新  品  限定 465部  サイン フェアチャイルド鉛筆サイン  額の仕様 黒ブロンズ額縁  マット 黒紙マット 格安卸価格税込75,600円  定価 $2,100 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 新品額装してお届けしますので12日程納品にお時間を頂きます ロイ フェアチャイルド(1953- ) 1953 イギリスのサリーで生まれる 幼い頃からアーチストになることが夢で、テクニカル スクールでアートの一般過程を学び、その後LONDON SCHOOL OF PRINTSで3年間グラフィックデザイン を学ぶ 卒業後はイラストレーターとして活躍し、この頃の経 験が現在の彼の版画の確かな知識と技術の土台となる 1980 アーティストへ転身することを決意する     その後はニューヨークアートエキスポでの国際     デビュー以降、アメリカ、、ヨーロッパを中心に     多くの個展を開催 1993 日本に初来日し、多くのファンの熱い支持を得     ており、熱心なコレクターも増えている 現在1年のほとんどを生まれ育った田舎町で暮らし、こ の恵まれた環境が彼の独創的で卓越した作品を生み出 している [絵は僕にとっての恋愛なんだ]と自ら語り、溢れる美 への情熱を絵筆に注ぎ込んでいる 現在彼はイギリスの田舎町にアトリエを構え、家族や 友人に囲まれて暮らしている 日常生活の中から自分にとって大事なものだけを選び 取りキャンバスに映す彼の作品には、日常に起こるち ょっとした出来事やささやかな幸せ、そして周りの人 々への感謝と愛情が溢れている ここ数年の彼は2次元の絵画から3次元の彫像やレリ ーフへ、さらに自由に心を遊ばせる詩の世界へと、拡 がっているロイ フェアチャイルドリッスントゥーミー まどろみの時を刻む 愛と官能の画家ロイ フェアチャイルド

版画 -> シルクスクリーン

中山忠彦 花飾りの帽子 リトグラフ

 作家名 中山忠彦  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦47.5X横38cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦75.5X横63.7cm  額の状態 新  品  限定 150部  サイン 中山忠彦鉛筆サイン  額の仕様 金装飾額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込69,120円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中山忠彦年譜(1935- ) 1935 3月20日福岡県小倉市に生まれる 1944 戦争激化に伴い両親の出生地に疎開 1953 上京し大垣誠三氏より伊藤清永氏に紹介される     伊藤清永先生の紹介で阿佐ケ谷洋画研究所に入     る(三輪孝氏主宰)     県立中津西高を卒業     東京芸術大学を受験するも不合格     岩崎電気株式会社デザインのアルバイトをしな     がら夜間阿佐ケ谷洋画研究所に通う     伊藤絵画研究所が開設され内弟子として入門 1954 第10回日展に「窓辺」60号が初入選 1958 白日展に「群像」を出品、会員に推挙される 1966 市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居    (現市川グランドホテル) 1968 大阪・日仏画廊にて初の個展 1969 彩壷堂にて個展 1974 リトグラフ集「Les Trois Femmes」を出版 1979 石版画集「粧」を出版 1980 白日展に「妝う」80号を出品し、内閣総理大臣賞を     受賞 1981 石版画「花かざりの帽子」を刊行     銅版画集「優しき相貌」第1集を刊行 1982 石版画「妝」を刊行(大日本絵画刊) 1983 「中山忠彦画集」を出版(求龍堂) 1984 石版画「襟飾り」を刊行     銅版画集「優しき相貌」第2集を刊行 1985 「昭和世代を代表する作家シリーズ中山忠彦展」     開催-新宿伊勢丹・名古屋松坂屋・大丸心斎橋・     福岡県立美術館を巡回 1987 石版画「羽根かざりの帽子」を刊行 1988 日展会員となる    「中山忠彦作品集」を出版(講談社) 1989 大分県中津市に木村記念館が開館、     作品が常設展示 1990 国際花と緑の博覧会の迎賓館・政府苑貴賓室に     「花装」がされる展示     同博覧会協会の依頼により石版画「双花」を制作     する 1991 銅版画集「優しき相貌」第3集を刊行 1994 石版画「ローブ・ド・パル」を刊行 1996 日展に「華粧」100号を出品し、内閣総理大臣     賞受賞 1998 「黒扇」にて日本芸術院賞受賞日展理事となる     日本芸術院会員となる 1999 日展常務理事となる 2001 日展事務局長となる     市川の文化人展「洋画家中山忠彦・美の世界展」     を開催     松屋銀座にて「デッサン展」を開催    (朝日新聞社主催) 2002 日会会長就任     市川市文化振興財団理事となる 2007 市川市市政功労賞受賞     北九州市民文化賞受賞 2009 日展理事長就任(~'13)     中津市民栄誉賞受賞 2014 市川市名誉市民として顕彰される 2015 市川市文化振興財団理事長就任     日展理事を退任し、新顧問に就任 2019 旭日中綬章受章中山忠彦 花飾りの帽子 上品で端正、甘美、清麗典雅な永遠の女性美を描く中山忠彦

版画 -> 石版画(リトグラフ)

ベルナール ビュッフェ ドライポイント 1968 モンマルトルのサクレクール寺院

 作家名 ベルナール・ビュフェ  制作年 1968  技法 ドライポイント  絵サイズ 縦64X横48.5cm  絵の状態 良  好  限定 120部  額サイズ 縦94X横77.8cm  額の状態 ほぼ良好  サイン ベルナール・ビュフェ鉛筆サイン  額の仕様 黒金虫食柄額縁  マット 麻布マット 格安卸価格税込199,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ベルナール ビュフェBernard Buffet(1928-1999) ベルナール・ビュフェ年譜 1928 7月10日、パリに生まれる 1943 ナチス・ドイツ占領下、ヴォージュ広場の     パリ市夜間講座に通う     国立美術学校の入学試験に合格し、12月か     らユージェーヌナルボンヌ教室で学ぶ 1945 アトリエ作品賞受賞     母ブランシェ死去     《キリストの降下》などの本格的な作品を生     み出す(パリ国立近代美術館所蔵) 1946 サロン・デ・モワン・ド・トランタン     (30歳以下の人たちの展示会)に初めて     《自画像》を出品 1947 アンデパンダン展(風景画と静物画の2点)と     サロン・ドートンヌ《肘をつく男》を出品し     、注目され始める     カルチェ・ラタンの書店「アンプレッション     ダール(芸術の印象)」で最初の個展 1948 批評家賞を受賞《ふたりの裸の男》     (サン・プラシッド画廊)     以後、世界各地で個展が開催される     ドライポイントを始める 1950 プロヴァンスに滞在し、小説家ジャン・ジオノや     詩人ジャン・コクトーと親交を深める 1951 代表作《キリストの受難》三部作を制作 1952 リトグラフを始める 1953 第2回日本国際美術展に《化粧する女》出品     (以後第6回展まで出品) 1955 「コネッサンス・デ・ザール(芸術の知識)」誌が     企画した「戦後の画家10傑」の1位に選ばれる 1958 アナベル(シュウォーブ・ド・リュール)と結婚 1959 神奈川県立近代美術館で、日本最初のビュフェ展     が開催される(デッサンと版画) 1963 回顧展「ビュフェ展、その芸術の全貌」が東京の     国立近代美術館と国立近代美術館京都分館で開     催される 1973 静岡県長泉町にベルナール・ビュフェ美術館が     創設される 1974 ヴァティカン法王庁美術館のアパルタメント・     ボルジアに「現代宗教美術コレクション」の     一部として《ピエタ》《受胎告知》などの大作     6点が収められる 1975 フランス・アカデミー会員となる 1980 ベルナール・ビュフェ美術館の招待により初来日     関西方面を取材旅行する 1991 ロシアのエルミタージュ美術館とプーシキン美術     館で大回顧展 1993 レジオン・ドヌール勲章のオフィシィエの称号を     受ける 1995 日本を縦断する大規模なビュフェ展が開催される 1996 ベルナール・ビュフェ美術館に版画館が増設される     ビュフェ夫妻は落成祝賀に臨席 1999 10月4日、ボームの自宅にて逝去     ベルナール・ビュフェ美術館で、アナベル夫人が     臨席し、ベルナール・ビュフェ追悼式を行う 2000 「死」展(モーリス・ガルニエ画廊) 2001 全国6ヶ所を巡回する「ビュフェ追悼展」開催 2005 8月3日、アナベル夫人逝去 2008 「ベルナール・ビュフェ」展(フランクフルト) 2009 「ベルナール・ビュフェ没後10年」展     (ベルナール・ビュフェ美術館)     「ビュフェとアナベル」展     (横浜そごう美術館、いわき市立美術館)ベルナール ビュフェモンマルトルのサクレクール寺院(ドライポイント ) 20世紀フランス美術界の具象絵画の時代の寵児 繊細でありながら力強い線描と存在感溢れる作品

版画 -> 銅版画(エッチング)

中山忠彦 優しき相貌I リトグラフ 1981

 作家名 中山忠彦  制作年 1981  技法 エッチング  絵サイズ 縦25.6X18.2cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦55.2X横46.4cm  限定 95部  サイン 中山忠彦鉛筆サイン  額の仕様 金装飾額縁  マット 白紙マット  額の状態 若干傷有 格安卸価格税込59,400円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中山忠彦年譜(1935- ) 1935 3月20日福岡県小倉市に生まれる 1944 戦争激化に伴い両親の出生地に疎開 1953 上京し大垣誠三氏より伊藤清永氏に紹介される     伊藤清永先生の紹介で阿佐ケ谷洋画研究所に入     る(三輪孝氏主宰)     県立中津西高を卒業     東京芸術大学を受験するも不合格     岩崎電気株式会社デザインのアルバイトをしな     がら夜間阿佐ケ谷洋画研究所に通う     伊藤絵画研究所が開設され内弟子として入門 1954 第10回日展に「窓辺」60号が初入選 1958 白日展に「群像」を出品、会員に推挙される 1966 市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居    (現市川グランドホテル) 1968 大阪・日仏画廊にて初の個展 1969 彩壷堂にて個展 1974 リトグラフ集「Les Trois Femmes」を出版 1979 石版画集「優しき相貌I」を出版 1980 白日展に「妝う」80号を出品し、内閣総理大臣賞を     受賞 1981 石版画「花かざりの帽子」を刊行     銅版画集「優しき相貌」第1集を刊行 1982 石版画「妝」を刊行(大日本絵画刊) 1983 「中山忠彦画集」を出版(求龍堂) 1984 石版画「襟飾り」を刊行     銅版画集「優しき相貌」第2集を刊行 1985 「昭和世代を代表する作家シリーズ中山忠彦展」     開催-新宿伊勢丹・名古屋松坂屋・大丸心斎橋・     福岡県立美術館を巡回 1987 石版画「羽根かざりの帽子」を刊行 1988 日展会員となる    「中山忠彦作品集」を出版(講談社) 1989 大分県中津市に木村記念館が開館、     作品が常設展示 1990 国際花と緑の博覧会の迎賓館・政府苑貴賓室に     「花装」がされる展示     同博覧会協会の依頼により石版画「双花」を制作     する 1991 銅版画集「優しき相貌」第3集を刊行 1994 石版画「ローブ・ド・パル」を刊行 1996 日展に「華優しき相貌I」100号を出品し、内閣総理大臣     賞受賞 1998 「黒扇」にて日本芸術院賞受賞日展理事となる     日本芸術院会員となる 1999 日展常務理事となる 2001 日展事務局長となる     市川の文化人展「洋画家中山忠彦・美の世界展」     を開催     松屋銀座にて「デッサン展」を開催    (朝日新聞社主催) 2002 日会会長就任     市川市文化振興財団理事となる 2007 市川市市政功労賞受賞     北九州市民文化賞受賞 2009 日展理事長就任(~'13)     中津市民栄誉賞受賞 2014 市川市名誉市民として顕彰される 2015 市川市文化振興財団理事長就任     日展理事を退任し、新顧問に就任 2019 旭日中綬章受章中山忠彦 優しき相貌I 上品で端正、甘美、清麗典雅な永遠の女性美を描く中山忠彦

版画 -> 石版画(リトグラフ)

東山魁夷 リトグラフ 煙雨 海山十題 1977年 生前作 東山魁夷本人監修 フランスムルロー工房制作

 作家名 東山魁夷  制作年 1977  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦37.2X横55.8cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦61.2X横78.2cm  額の状態 ほぼ良好  限定 EA(通常限定150部)  落款 東山魁夷朱落款  刷元 ムルロー(パリ)  版元 アポロアート  額の仕様 銀光沢額縁  マット 銀マット 格安卸価格税込297,000円 原画:煙雨(1973)長野県立美術館/東山魁夷館蔵 この作品は東山魁夷先生ご存命中に作られたリトグラフです 東山魁夷先生ご本人が監修しております。 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 東山魁夷年譜(1908-1999) 1908 横浜市に生まれる(本名:新吉) 1911 神戸西井出町に移住 1926 東京美術学校日本画科入学 1929 第10回帝展に「三国の秋」が初入選 1931 東京美術学校日本画科を卒業     この年から結城素明に師事し、魁夷と号する 1933 ヨーロッパ美術研究のため渡欧(~35) 1934 第一回独文化交換学生としてベルリン大学入学 1937 神戸画廊にて初個展「滞欧スケッチ展」 1939 第一回日本画院展で「冬日」が日本画院賞     第一席となる 1940 川崎小虎の長女すみと結婚 1943 川崎小虎、山本丘人と国土会を結成 1947 第三回日展に「残照」を出品、特選となり     政府買い上げとなる 1950 第六回日展に「道」を出品 1956 「光昏」で日本芸術院賞受賞 1960 東宮御所壁画「日月四季図」完成 1961 宮内庁依頼による吹上御所に飾る「萬緑新」完成 1962 北欧四カ国を旅行 1963 東山魁夷自薦展開催(松屋・銀座)     東山魁夷代表作品展(大丸・神戸) 1964 リトグラフ挿画本「古き町にて北欧紀行」     明治書房より刊行 1965 日本芸術院会員に推挙     日展理事に就任 1968 新宮殿壁画「朝明けの湖」が完成     文化財保護審議会専門委員となる 1969 毎日芸術大賞受賞     日展常任理事に就任     ドイツ・オーストリア旅行     文化勲章を受章し、文化功労者に選ばれる 1970 東京国立博物館の評議員となる 1971 ドイツ・オーストリアの旅による新作     「古都を描く」「窓」の主題に寄る連作展開催    (三越・日本橋) 1972 日中国交正常化に際し、日本政府より毛主席     に贈られる「春暁」制作 1973 「白い馬の見える風景」展開催(松屋・銀座) 1974 日展理事長就任 1975 訪日のエリザベス女王に贈られる「春の曙」制作     唐招提寺障壁画「山雲」「濤声」が完成    「第一期唐招提寺障壁画展」が開催される 1976 ドイツ連邦共和国功労大十字勲章受賞 1977 パリの日本大使公邸のため「青い谷」制作     東京国立近代美術館評議員となる     ワシントンの日本大使公邸のため「山嶺湧雲」制作     パリプチパレ美術館で開催の「唐招提寺展」に「山雲」     「濤声」が出品される 1979 東ベルリン国立美術館アルテス・ムゼーウムとライ     プチヒ造型美術館で「日本 東山魁夷絵画展覧会」     が開催され訪独 1980 第二期唐招提寺御影堂障壁画展「黄山暁雲」    「揚州薫風」「桂林月宵」四十二面が開催 1981 鑑真和上厨子絵「瑞光」完成 1985 日本中国文化交流協会代表理事就任     ベルリン日独センター評議員となる     同時に、日独協会名誉会員に推戴される 1989 「東山魁夷展」が開催される     (ベルリン国立東洋美術館、ハンブルグ゛芸美術館、     ウィーンキュンストラーハウス) 1990 長野市の城山公園内に東山魁夷館開館 1995 米寿記念―唐招提寺障壁画と画業60年の歩み「東山     魁夷展」開催    (東京、京都、長野県立美術館・東山魁夷館) 1997 卒寿をむかえて―東山魁夷「私の森」展開催    (神戸、福岡) 1998 長野オリンピック開催に合わせて、「人と自然そして     祈り in Japan」開催    (長野県立美術館・東山魁夷館)    「東山魁夷展」開催(富山、千葉) 1999 5月6日逝去 享年91歳     勲一等瑞宝賞を受賞 2000 福岡、東京、名古屋でパリ展帰国記念東山魁夷展開催     信濃美術館で東山魁夷館10周年記念展東山魁夷の世界 2004 横浜美術館で東山魁夷展ひとすじの道 2005 で香川県立東山魁夷せとうち美術館開館記念展    (坂出市沙弥島)     市川市で市川市東山魁夷記念館開館記念特別展 2008 東京、長野で生誕100年東山魁夷展 2018 東京、京都で生誕110年東山魁夷展東山魁夷 煙雨(海山十題)自然と真っ正面に向き合い、自然の奥にある本質に迫り独自の境地を確立した、日本画壇を代表する国民作家

版画 -> 石版画(リトグラフ)






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